対談

2024.06.19

対談:小森たくお×町田 一仁

2024年5月25日に開催した「小森たくお国政報告会」で講師としてお越しいただいた”元防衛省人事教育局長の町田 一仁氏”との対談となります。

小森:町田さん、先日(令和6年5月25日)は金沢までお越しいただき、私の国政報告会でご講演いただき、誠にありがとうございました。出席された皆さんからも大変好評でした。当日は町田さんも私も講演に熱が入ってしまい、時間の関係で予定していた対談が取りやめとなってしまいました。会場に来られた皆さんからも「対談も聞きたかった」という声が多くあったので、改めて対談という形を取らせていただきました。どうぞ、よろしくお願いします。

町田:よろしくお願いします。小森さんの国政報告会で、多くの方々に自分の思いを直接お伝えできたことは、本当に貴重な経験となりました。小森さんとはこれまで、二度ほど一緒にお仕事をさせていただいたことがありました。初めてご一緒したのは、私がまだ40歳前後の頃、防衛省で陸上自衛隊の防衛力整備を担当していた時です。その時、小森さんは財務省の主計局で陸上自衛隊の予算を担当しておられました。その後、5年前に私が防衛省で課長をしていた時にも会計課長の小森さんとご一緒させていただきましたが、本当に深いお付き合いをさせていただいたと思っています。

小森:町田さんから見て、私の印象や、何か特に記憶に残っているエピソードがあればぜひお聞かせいただけますか?

町田:はい、最初の頃は正直、財務省の主査という方は敷居が高いと感じていました。先日の講演でもお話ししましたが、私は防衛省にノンキャリアで入省し、初めて陸上自衛隊の担当班長となりました。その時に小森さんは財務省の主査という高いポジションの方で私のカウンターパートの位置付けで、どのように接すればいいのか、正直悩んでいました。最初の2週間ほどは、訪問することができなかったと思います。

小森:確かに最初の頃は、私の方も防衛省の皆さんとどう接していいか迷う部分もありました。

町田:お話を進めるうちに、小森さんがこちらの目を見て真摯に話をしてくださるので、「あ、自分も対等な立場で話しても大丈夫なんだ」と感じるようになりました。その後は、お互いに腹を割って話すことができるようになったと思います。それがとても印象的でした。
特に印象に残っているのは、東京の本郷にある旅館でのことですね。そこでは、仕事に直接関係のない話題を持ち寄って、お互いが興味を持っていることを話す合宿をしました。査定官庁側から要求官庁側である私たちに対して、そのような提案をしてくださったのが驚きでした。あの時、小森さんはどういうお気持ちでその提案をされたのでしょうか?

小森:町田さんとご一緒した2年間は、私にとっても初めての経験ばかりで非常に緊張していました。特に防衛省の業務は、他の省庁と比べても非常に複雑で、また突き詰めて考えなければならないことが多く、自衛隊という組織そのものを理解してからでないと、予算の配分についても適切な判断ができないと感じていました。だからこそ、町田さんたちとの交流は非常に貴重なものでした。私が役所に入ったばかりの頃の上司の課長が、自衛官の皆さんと一緒に夜を徹して話をする機会があったそうです。それ以来、私も「こういった話ができたらいいな」と考えていたことを実現することができました。幸いにも初年度の予算編成が終わった後、お互いに信頼関係が築けたことで、町田さんも含め、制服組や背広組の皆さんと胸襟を開いて話すことができるようになりました。本郷での合宿は印象的でしたね。

町田:小森さんが石川県庁に出向されていた時に小松空港の増便問題というのがありましたね。

小森:その時、ちょうど北陸新幹線が金沢に開業するタイミングでした。新幹線が通ると小松-羽田線が減ってしまうという危機感があり、小松空港は自衛隊との共用空港なので、国際線増便のために防衛省にお願いに行ったことがありました。

町田:その時に私は共用飛行場を担当する室長で、自衛隊の飛行場の管理をしていたのですが、自衛隊にとっては訓練のために空港を自由に使うことが非常に重要でした。しかし、地元との関係を築かないと、自衛隊だけの都合で行動するわけにはいかない、非常に複雑な案件でしたね。当時の事務次官に報告をしたところ、石川県の部長は小森さんなのだから、一緒に議論を詰めてやってくれよと言われたことをとてもよく覚えています。

小森:当時の事務次官は、ちょうど私たちが予算をやっていたときの防衛省側の局長で、本当に厳しい折衝をカウンターパートとしてご一緒した仲間でした。小松空港の件で防衛省に出向いたときに直にお会いできたことは大変有意義なことでした。自分が主査としてやっていた2年間は、錯覚ではなく、防衛省の方たちとも信頼関係を築けた非常に意味のある2年間だったと実感し、大変嬉しかった記憶があります。

町田:そのような関係が築けたのは、小森さんという存在があってこそだと思います。小森さんが防衛省自衛隊の中で築いた信頼関係のおかげで、会計課長として赴任された時も、皆さんが喜んで迎えてくれたのを覚えています。単なる出向者ではなく、我々の仲間が来てくれたんだという感じでした。

町田:一番私たちが信頼を置いたのは、新型コロナウイルス対応の時です。災害派遣や病院の医療拡充などのために、自衛隊が毎日作戦会議を開いていましたが、小森さんがその会議に参加されたのは驚きでした。

小森:通常、会計課長は整理された情報を受け取って、それに対して意見を返すことが多いのですが、異例の対応ですが、チームに組み入れられました。この時は、防衛省が民間事業者と契約して設営を行う必要があり、予算の要求も非常に難しく、デリケートな対応が求められる状況でした。

町田:小森さんがその中に入って議論を聞いてくれることで、予算の要求に円滑につながるということが分かりました。全員が「小森さんなら」と納得して会議に参加していただいたことがとても良かったと思います。
衆議院から出馬されると聞いた時も驚きましたが、小森さんはどのような立場の方に報告される時も、きちんと前を向いて、目を見て、自分の言葉で語られてといった姿勢は素晴らしいと思いました。こういった姿勢というのは金沢の皆さんにも絶対に伝わったと思っていますし、私からもお伝えしたいことでした。国の行政を理解した上で地元を背負っていくということは、大きな決断だったと思います。

小森:町田さんの話もしたいのですが、陸上自衛隊の相馬原駐屯地で事務官をされていた時に靴の結び方から教えてもらったという話をどこかで聞いたことがありますが、とても良い話として覚えています。そこから着実にキャリアを積み重ねていかれ、防衛省の中でも重要なポストに就かれ、その後も順調に昇進されました。町田さんが審議官になられた時も、我々は本当に良かったと思いました。そして審議官に留まらず、人事教育局長にまでなられたわけですが、お勤めされる中でどんなことを心がけておられたのか、秘訣があればぜひ教えていただきたいです。

町田:ありがとうございます。正直に言いますと、その場で一生懸命やるというのが私のモットーでした。上を目指すことは採用区分から言うと難しい部分もありましたが、任された場所で一所懸命やることを心がけていました。その結果が今につながったのかもしれません。

小森:ただ、その場所その場所で非常に辛いこともあったと思います。特に女性自衛官に対する部隊のハラスメントの問題に正面から取り組まれましたが、非常に辛い気持ちで臨まれたと思います。

町田:初任地として勤務した相馬原駐屯地では、女性自衛官と一緒にスポーツをしたり、グループで出かけたりする文化がありました。だからこそ、あの時は申し訳なさや怒りがこみ上げてきましたが、これをきっかけに、女性と男性が協力して国を守るべきだと強く感じました。あの時、大臣に「こういう風に謝りたい」と伝えた時に、分かった、と言っていただきましたので、謝罪した時には、自衛隊に初めて入った時の思いがこみ上げてきました。

小森:私が主査の時に防衛省の予算制度の重要なパーツの計上の仕方が大きく変わりました。お互いに非常に辛い調整を必要としましたが、これが私たちの絆を強くしたと思います。

町田:財務省にいらっしゃる小森さんは、行政の仕組みを理解されているだけでなく、信頼を築く姿勢が私たちにとって大きな支えでした。だからこそ、今回の対談も非常に嬉しく思いました。最初はどう構成しようか悩みましたが、最終的には良い形でお話しできました。本当にありがとうございました。

小森:色々な立場でそれぞれ変わりながらお付き合いしてきましたけれども、これからまたそれぞれの立場で頑張っていきましょう。ありがとうございました。

2024年6月19日 小森たくお東京事務所にて対談

町田 一仁まちだ  かずひと

元防衛省人事教育局長
駐屯地の事務官から叩き上げ、ノンキャリアで初の局長となった防衛省の伝説(レジェンド)。ダイヤモンド・プリンセス号への現場対応や自衛隊大規模ワクチン接種センター設置など新型コロナ対策に携わったほか、近年の自衛隊のセクシャル・ハラスメント事案への対応も担当。

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