対談

2025.01.31

対談:小森たくお×宮本周司「共に歩む能登 支援と連携を振り返る」

自民党参議院議員の宮本周司氏と、能登の震災支援や国と地域の連携について語りました。  対談日:令和6年12月

小森  本日は、参議院議員の宮本周司さんと令和6年を振り返りつつ、お話を伺っていきたいと思います。宮本さん、よろしくお願いいたします。

宮本  よろしくお願いいたします。

小森  令和6年を振り返る時、やはり元日に発生した能登半島地震は、石川県選出の国会議員である我々にとっても大変大きな出来事でした。宮本周司先生は自民党県連会長でもありますが、今回は超党派での取り組みで様々な要望の取りまとめをなさって、各方面から寄せられた要望を繋いであられました。当時、大変だったことや印象に残っていることがあればお聞かせください。

宮本  私は自民党県連会長として、自民党のみならず、県内にある全ての政党支部へ現場から寄せられる様々な要望や声をまとめ、重複など整理して県と繋ぐということをしていました。一方で、国からのバックアップが必要な事案も多く、それらを国に繋いでいくという仕事を、政府の現地対策本部副本部長として小森さんがずっと指揮してくれました。

小森  宮本さんは松村防災担当大臣との信頼関係が構築されていて、適時適切なアドバイスをくださいました。その連携があったからこそ対応できたのだと思います。
私が任命された現地対策本部副本部長というポストは、おそらくこれまで作られたことがなく、石川県庁の部長の経験が買われたのだと思います。最終的には200人を超える組織となったのですがゼロから立ち上げたので大変でした。

宮本  当時は寒い時季でインフルやコロナの発症も重なって、密集した避難所では感染力が強まりますので、様々な現場対応もありましたね。例えば、学校であれば棟を移動したり、使う教室を限定するなどして、罹患した方々を隔離して避難所全体への影響を最小限に抑えるなど、新聞報道等ではなかなか出てこない、現場ごとで被災された方々に寄り添った細やかな対応をし続けてくれました。

小森  今回は高齢の被災者が多く、冬場に避難所でずっと過ごさなければならないので、避難所の衛生状況を改善しなくては健康の危機がある、という責任感、使命感をもって肥満所を運営する方をはじめとする多くの方たちが対応してくださったのがありがたかったです。GMATの尚さんは通常であれば 災害発生後、応急の対応が終了すれば撤退解散するのだとお聞きしたのですが、今回はそれをはるかに超える長期にわたって能登に残っていただきました。

宮本  この震災対応で、私は石川県の自民党国会議員、自分を含めた5名の強みや魅力を改めて認識しました。誰かが主となって動く時は、他の皆さんが後ろにまわってフォローする、このチーム力は別に打ち合わせしたわけではなくて、必然的にそれができているというのを凄く誇りに感じましたし、これからも色んな仕事を一緒にやっていきたいな、と強く思いました。

小森  チームスポーツみたいですよね。例えば自分が今、ボールを持って動いている時に、誰がどこにいるかというのを確認できなくても、多分ここにいるんじゃないかと振り返ると、ちゃんとそこにいてパスが出せました。それぞれがそれぞれのことをやりながら、視界に入らない範囲であっても他の人の動きもお互いに把握しているような信頼感があった気がします。

宮本  経済産業大臣政務官の時に熊本豪雨がありました。その4年前の熊本地震では、「グループ補助金(中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業)」という補助金で対応していました。当時はまだ、地震被害からの復旧途上なところに、また災害が重なった状況となり、グループ補助金のままじゃ駄目なんじゃないかと省内で議論した結果できたのが、いわゆる今の「なりわい補助金(なりわい再建支援補助金)」です。
それで、今回も激甚災害指定の見込みが「本激(激甚災害指定基準による指定)」で立つとなった1月上旬の時点でなりわい補助金が発動できると確信し、早い段階から自分の強みであるこの分野の支援を、中小企業庁長官たちと相談して作り込んでいきました。
復興というのは、まだまだ先の話。応急復旧が終わって、公費解体も含めて進んでいって、これから市町村の復興計画、復興ビジョンを立てて具体的な本格復旧に至ります。ここにまだ数年かかる訳ですから、当然被災された方々の立場からしてみれば、ある程度の見通しであったりスケジュール感は示してほしいと思いますし、被災された方々のそれぞれの心情にも寄り添いながら、引き続き連携協力して取り組み続けなければいけませんので、一緒に頑張っていきましょう。

【伝統的酒造りがユネスコ無形文化遺産に登録】

小森  次は、「日本の伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録された話です。酒造家のおひとりである宮本周司さん、おめでとうございます。

宮本  ありがとうございます。日本は、ユネスコ無形文化遺産へは2年にひとつだけエントリーするという流れになっていて、当時も書道をはじめ、いくつかの競争相手がいる中で日本の代表となり、今年の登録決定に至りました。これは日本酒だけでなく、焼酎や泡盛、「麹を使った伝統的酒造り」という技法では味醂なども対象となるので、各酒造業界団体と一緒に盛り上げて機運醸成してきましたし、無形文化遺産に決定した後の展開まで計画しながら、12月5日未明の会議における決定の瞬間を待っていました。
1月下旬には、金沢港クルーズターミナルで文化庁主催の関連イベントも2日間開催されるのですが、全国でも国主催のイベントは石川県でのみ開催します。被災した能登の酒蔵の方々にも、きっと励みになると思います。
大阪関西万博のタイミングで登録されたことで、伝統工芸を中心とする器、酒や食も含めた正しい日本の食文化を、万博へお越しいただく多くの海外の人に知っていただき、正しい、魅力的な日本の食・酒・器、この輸出の展開に繋げていこうと目論んでいます。
そして、今はその目論見の能登版、石川版を色濃くやっていきたい。能登の復興の中で、能登の酒というのが元気とかにぎわいを取り戻していく上でのエンジンのひとつになってくれるものと信じて、引き続き酒造家のはしくれとして酒蔵支援は徹底していきたいなと思っています。

小森  日本酒は今、すごい勢いで輸出が増えています。本物の和食と本物の酒を世界が求めはじめました。各業界の振興努力がようやく結実しはじめていると思いますし、今回のユネスコ登録でさらに勢いがつくと思います。

宮本  石川県酒造組合連合会は、47都道府県の中で私はトップだと思うくらい、チームワークがすごく良いのです。新しい世代がどんどん組合の中枢に入ってきて、守るべきものは守り、そして革新すべきことには果敢に挑んでいく、それをまた、チームとしての酒造組合がいろいろなアクションに繋げていってくれています。今回も、能登の被災した酒蔵を「まず地元で支えるんや」という気概のもとですぐ行動に移し、彼らの力が全国に伝播しているのだと実感しています。

小森  宮本周司さんはもともとのバックグラウンドが酒造りであり、そしてまた商工会の役を務められていたので経済産業、とりわけ中小企業対策、小規模の企業支援というのが強みとしてあります。そのうえで、財務大臣政務官を経て今回は自民党の財政金融部会長と、だんだん経済産業だけではなく、財務金融分野にもウイングが広がっていますね。

【経済産業と財政金融の両翼で広がる世界】

宮本  希望を出していたわけでもなく受け身の状態でこの貴重な経験をさせていただいているので、これまで経済産業分野を中心として、一次・二次・三次産業の生業や、中小企業・小規模事業者をを強くしていきたい、という活動をやり続けていた私にとっては、財政金融における制度や枠組みを知ることでより産業分野にとってプラスになると考えています。
石川県の中で財務金融分野の卓越した知見を持っているのは小森さんですが、時には財務省に「予算をつけてほしい」とケンカを売りにいっているような場面が多かった私にとっては、受ける側の立場になって仕組みを理解することで、この産業分野でこういう提案だったら認めてもらえるのではないか、といった見方や考え方もできるようになったことが大きいです。
当然、国家の財政を握る財務金融行政が正常であるべきだとは思います。ただ、新たな富を生み出していくことが、将来の税収を生み出すことになるので、やはり個人的には積極的に財政出動し、経済産業をしっかりと応援して鼓舞していくことが必要だと考えています。しかし、それは様々な補助金によって担保されるものではありません。補助金は、初動の脆弱なところを応援するひとつのツールでしかありません。あらゆる産業が、日本のみならず世界という市場を見て、モノづくりや技術力の強みをもう一回伸ばしていただきたいです。

小森  政策作りはある種のディベートというか、「こういうことを実現したい」という思いに対して、いろんな形で意見をぶつけあわせて、なるべく少ないお金で最大の効果を得るような政策に高めていく。国や地方自治体のお金は国民のみなさんの税金を使って事業を行うので、最小の予算で最大の効果を目指して、世の中がよくなって皆さんの生活が幸せになっていく、ということに繋げていかなければなりません。要求する側の片方だけ、あるいは要求を受ける側だけでは実現しませんので、それを両方見ているというのは、宮本周司という政治家が大きくなっていくうえできっと大きな財産になっていくんだろう、とお話を伺って思いました。

宮本  昨年の秋の衆院選挙で応援に行った先々で、「応援していただいている皆さん以上に、小森卓郎という代議士をこの石川1区で得たことはとても大きなことだと、私が一番実感している」と話していました。
それはやはり財務省、県庁も知っている、そして今、現地現場で金沢市を中心として県民の皆さんと災害対応も含めてひざ詰めで話をしたり、時には一緒に浴衣を着て盆踊りしながら、それはたわいもない日常の会話かもしれないけれど、接することで石川県民お一人おひとりが思っていることと、県でとらえること、国でとらえることをすべて通して完結できる立場が、「小森卓郎」という唯一の存在だと思っているからです。

【同学年で切磋琢磨して切り開く未来】

小森  宮本周司さんと私は同学年、私は昭和45年5月生まれ、宮本さんは昭和46年3月生まれです。いろんな時代を同じ成長段階で経験しているので感じ方が似ているところがあると思います。

宮本  それは私も同じです。環境や興味があった分野も違うとは思いますが、同じ時代の流れの中で育ち、やはり共通項が多いというのは感じます。
小森さんの呼びかけで、昭和45年度生まれの県議会議員、市議会議員などそれぞれ違うフィールドで仕事をする同学年の集まりを持ちましたが、良い刺激になっています。

小森  刺激を受けあって、質の高いコミュニケーションをすることにより、お互い得るものがあるし、自分の見え方というのがさらに磨かれたりしますね。私たちの仕事だけに限らないのですが、すごく大事なことなんだなと思っています。

宮本  当然これから先、国会議員として活動していく上で、政策面でぶつかることもあると思います。でも根っこの部分で全幅の信頼を置いているので、政策論を戦わせることによって、自分が見えていなかった部分を気づかせてもらうこともある。最終的に議論がどっちで帰着するかはわからないし、真ん中が着地点かもしれないですが、国家国民のための政策をより良きものにしていくために、信頼の上でぶつかるときにはぶつかる、と。
これはよく商工会青年部時代に使っていた表現なのですが、「場面によっては右手で殴り合うけど、握った左手は絶対に離さない」と。これからの政治家チーム石川も、まさにそうありたいと強く感じています。

小森  真剣にやればこそ、ですね。
2025年はどんなことを展望されていますか。

宮本  2025年になっても能登半島地震、奥能登豪雨によってもたらされた被害、これを着実に復旧させていくことが最重要課題です。被災された方々に寄り添いながら、皆さんが望む形での復旧とその先の復興の道筋をちゃんと整えていかなければならない。
そのうえで我々は国会の中において、この人口減少フェーズの中でしっかりと日本として伸ばさなければいけない部分を軸に、日本の富を生み出すベクトルを高めていく、そしてそのことがまた、子育て・教育の環境であったり、医療や介護、福祉の環境であったり、広く国民生活を豊かにしていくことに繋がっていきますから、日本という国の基盤を、ここ近年のいろいろな苦難困難を乗り越えて強固にしていくことについて、尽力しなくてはいけないと思っています。
そして、自分自身は夏に参議院選挙が控えています。次なる4年間のために、しっかりとこの選挙を乗り越えて、多くの方に信用信頼していただいて、国家国民のための仕事と、石川県の被災地を含めた現地現場のお一人おひとりに寄り添った形で、感じたこと、受け止めたことを国政の中でひとつでもふたつでも実現していく!このことに注力していきたいです。

小森  身体に気を付けましょう。そして今年は周司さんにとって大事な年になります。みんなでがんばりましょう。今日はありがとうございました。

(本対談は、令和6年12月に行われました)

宮本 周司みやもと しゅうじ

能美市出身。㈱宮本酒造店代表取締役、全国商工会青年部連合会長を経て、2013年から参議院議員(当選3回)。 経済産業大臣政務官、財務大臣政務官、参議院の財政金融委員長を歴任し、現在は自民党財務金融部会長。経済産業分野におけるスペシャリスト。

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